ギャンブル依存症
いい人を演じるより、自分と仲良くなること
2025年08月18日
「誰かのためにやってるんだ」って、どこかで自分を正当化したいときによく使っていた。
親のため、子どものため、友達のため、職場のため、グループのため、あの人のため。
でも、よくよく自分の気持ちを見つめてみると、そこには「嫌われたくない」「責められたくない」「認められたい」という気持ちが隠れていることがある。
「誰かのため」は、ときに「美しいフリをした逃げ」になる。
自分の本当の感情から目をそらすために、あえて「他人」を盾にしてる。
それはやさしさではなく、恐れからくる行動なのかもしれない。それが自分に何を与えてくれた?
私も「いい人」であろうとしすぎていた時期があった。
頼まれごとは断れないし、心では嫌だと思っていても笑ってうなずく。
「自分が我慢すればいい」「迷惑をかけなければいいんだ」と信じていた。
子どもの頃、親に言っても否定はなかったが、まるで答えは違った。
ヒントが少ない中で必死で答えをさがして最後は自分で決めるしかなかった。
「いい人」の仮面をかぶった自分は、本当の自分の感情とどんどんズレていった。
親にも妻にも、親族にも、友人にも、隣人にも、いい顔をして、正直なところ本当に疲れてたんだと思う。
ギャンブルにのめりこんだのも、もしかしたら「仮面の自分」を演じ続けた反動だったのかもしれない。
外では「いい人」、内では孤独と葛藤。そのギャップが苦しくて、ギャンブルという一時的な逃げ場に依存してしまっていた。
本当に大事なのは、「誰かのために生きること」じゃなくて、「自分と仲良くなること」。
「今、自分はどう感じている?」「何を望んでいる?」と問いかけてみること。
その問いに素直に耳を傾けられるようになると、少しずつ心がほぐれていく。
もちろん、人に優しくすることは素晴らしい。
でもその優しさが、自分の感情を犠牲にして成り立っているなら、それは本当の意味での「やさしさ」とは言えないかもしれない。
自分にやさしくしよう。
自分は自分にわがままでいい。ダメでもいい。正直な気持ちを抱えている自分を、嫌いにならないこと。
「いい人」じゃなくてもいい。「ほんとうの自分」と仲良くなれたら、それだけで十分なんだ。
厳しすぎる自分を許して素晴らしすぎる生活に幸せさがして。
今日もギャンブルのない1日を。