ギャンブル依存症
経験とともに積み重なった偏見を手放す
2025年12月01日
ギャンブル依存症を経験すると、どうしても偏見が心に残る。
それは、他人に対してだけでなく、自分自身に向けても強く向けてしまう。
「どうせ自分はまたやるだろう」
「自分はダメな人間だ」
――そんな自己否定の偏見。
あるいは、周りの人に対しても、
「依存する人はみんな弱い」
「自分のことなんて誰も理解してくれない」
――そんな決めつけの偏見。
偏見は、過去の経験に裏打ちされた“自分なりの真実”でもある。
だからこそ、強く根を張ってしまい、なかなか外すことができない。
しかし偏見がある限り、未来を柔らかく受け入れることも、自分を信じることも難しくなる。
では、どうすれば偏見を少しずつ手放していけるのだろうか。
1. 事実と解釈を切り分ける
たとえば「借金をした」というのは事実。
でも「だから自分は価値のない人間だ」というのは解釈にすぎない。
経験を「事実」と「解釈」に分けて眺めると、偏見は思い込みであることに気づきやすい。
2. 仲間の声に耳を傾ける
自分と同じように依存症を経験してきた仲間の話を聞くと、
「依存する人は皆同じ」という偏見がほどけていく。
同じ依存症でも背景は人それぞれ。多様な声に触れることで、自分の見方も広がる。
3. 小さな成功体験を積む
「今日一日やめられた」「無駄遣いせずに過ごせた」
そんな小さな実績が、自己否定を少しずつ上書きしていく。
経験によって作られた偏見は、新しい経験によって塗り替えることができる。
4. 偏見を持つ自分を責めない
「偏見がある=悪い」ではない。
人間は経験を通して偏るものだし、そこから慎重さや警戒心を学ぶこともある。
だからまず、「偏見を持ってしまうのは自然なこと」と認めること。
その余裕が、偏見を柔らかくしていく。
5. 言葉を意識して使い替える
言葉の選び方ひとつで、心のとらえ方は変わる。
「自分はダメ」→「まだ回復の途中」
「依存症の人は弱い」→「それぞれ違う苦しみがある」
言葉を少しずつ変えることで、偏見は学びへと変わっていく。
ギャンブル依存症を経験した事実は消えない。
けれど、その経験を「偏見」として重ねるのか、「学び」として積み上げるのかは、自分の選択だ。
偏見を手放していくたびに、心はまた柔らかさを取り戻し、未来への扉が開いていく。
経験そのものは重荷ではなく、むしろ新しい自分をつくる材料になる。